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【アラベスク】  第12章 マジカル王子様



第2節 権力の天秤 [20]




 今の彼も、表向きはとても紳士だ。美鶴も、その品の良さと優雅さと、優しさに心が惹かれた。だが、それは表向き。表面があまりに麗しいだけに、一枚剥がした本当の顔が、あまりに毳々しく醜悪に見える。
 ワザとだ。霞流さんはワザとそうしている。自分の本性をできるだけ醜く見せるために、表向きを演出している。
 その落差で相手を傷つけて、たぶん、楽しんでいる。
 美鶴は膝の上でスカートを握った。
「好きな人が同級生を自殺に追い込むような事をしたから、だから霞流さんは女性に不信感を」
 だが美鶴はそこで言葉を切る。この考えには疑問点があった。
 智論の話では、織笠(おがさ)(れい)の自殺後も、慎二は桐井愛華(まなか)という女性を想っていた。彼女のためになりたいと、失踪直前の涼木魁流(かいる)へ向かって告げていたと言う。
 好きな人のためにできるだけの事がしたい。
 そのような言葉を口にできるほど、当時の彼は優しかった。
 その事実に霞流の愛しさや優しさを感じながら、同時に、そこまで想われていた桐井という女性に対して、嫉妬を感じずにはいられない。
 自分はそこまで想われた事があるだろうか?
 一瞬湧いた虚しさを胸の奥へ押し戻し、自分を奮い立たせようと声を出す。
「でも、霞流さんはもともと女性嫌いなところがあったって、智論さんは言ってましたよね?」
 そこで美鶴は初めて、この店に来て初めて智論と向かい合った。真っ直ぐに、相手の視線を避ける事なく正面から向かい合う。
「そこがどうしてもわからないんです」
 一ヶ月考えた。どうして自分の想いは、あのように無碍に扱われたのか。
 その答えを見つけるためには、どうしても知る必要がある。なぜ霞流が女性に対して嫌悪を抱くようになったのか。
「智論さんは、私には知る必要が無いと言いましたよね」
「えぇ」
「でも、やっぱり知る必要は、私にはあると思うんです」
 そこで一口、紅茶を飲む。乾いた唇に熱い。一気に火照(ほて)り、心なしか腫れたような感覚を帯びる唇を小さく舐める。
「私、正直なところ、自分が霞流さんの事をどう思っているのか、わからないんです」
 なんて無責任なんだ。好きだと言っておいて。
 霞流に告げれば、そのような嫌味の一つも言われるかもしれない。だが、それが本当に正直なところだった。
「でも、霞流さんの事が気になるのは確かです」
 そこで顎を引き、少し上目使いに智論を見る。
「こんな私、許婚の智論さんには目障りですよね」
 智論は思わず笑ってしまった。これが笑わずにおれようか。
「目障りだと思ったら、こうやって会おうとは思わないわ」
 ショコラを一口。口の中に広がる濃厚な粘つき。不愉快ではなく、むしろしっとりと気持ちを落ち着かせてくれる。
「私、自分の気持ちも知りたいと思うんです」
 もう人は好きにはなるまい。好きになるどころか、他人とは関わるまい。なぜならば、関わってまた傷つくのが嫌だったから。
 聡の気持ちも、瑠駆真の想いも、美鶴は認めたくはなかった。認めて、それが嘘だと知れた時、自分はまたショックを受ける。里奈に裏切られた時のように。
 怖かった。
 そう思う美鶴の耳に、ツバサの声が重なる。

「でも、少し怖かった」

 その声は風に乗り、遥か遠くの対岸を目指す。

「本当の自分をコウが知ったら、自分は嫌われるかもしれないって」

 だがツバサは逃げない。本当の自分を知られる恐怖を抱きながらも、変えたいと必死にもがいている。
 そんな彼女を、美鶴は綺麗だと思った。不本意だが、認めたくはないが、あり得ないと否定したいが、綺麗だと思った。その事実を、消すことはできない。
 怖かった。
 傷つくのが怖かった。だが、傷つくまいと努力をしてきたはずなのに、またしても自分は他人を好きになり、そして打ちのめされてしまった。
 逃れようと思っているのに、また同じところへ戻ってきてしまう自分。身の内に潜む得体の知れない異形。蠢きながら自分に巣くって離れる事のない緑色の異物。それは、恐怖だったのか?
 傷つくのが怖くて逃れ、逃れれば元に戻ってきてしまう。そんな自分が怖い。
 ならば自分は、どうすればよい?
「霞流さんは、どうして女性を嫌うのですか?」
 美鶴の瞳は虚ろ。だが言葉ははっきりとしていて、澄んでいてとても聞き取りやすい。
「霞流さんの事が知りたいと、思います」
 それまでの、言いたいのにうまく言い出せずに口ごもる態度とは一変した、まるで別人のような声音。智論は黙って紅茶を啜った。
 慎二に想いを寄せ、突き放され、それでもなんとか振り向かせたいと言っては智論にせがんで事情を聞きだし、どんどんと慎二の思惑に(はま)っていく女性。そんな存在を、智論は何人も見てきた。傍から見れば明らかに弄ばれているとわかっていても、本人は必死だった。深みに嵌れば嵌るほど、人は周囲が見えなくなる。
 この子も、そうなるかもしれない。
 だが、そのような危機感を抱きながらも、智論はこの子ならという淡い期待をも持っていた。
 慎二があれほど興味を持った女性は、この子が初めてだ。

「彼女は違うよ」

 夏の京都。嵐山の旅館で、慎二は智論にこう漏らした。

「彼女が俺に好意を抱くなんて、そんなコトにはならないよ」

 ならないで欲しいと、彼は期待していた。今まで出会った女性のようにはならないと、ならないで欲しいと期待していた。
 智論は向かいの少女を見つめる。
 もしこの子が、慎二の期待するような、どんな仕打ちにもヘコたれないほどの強い子だったとしたならば、そうしたら慎二は認めるかしら? 尊敬に値する、姑息だと馬鹿にする事のできない女性も存在するのだという事を。そうしたら慎二は認めるかしら? 女性という存在と、人を想うという心の存在を。







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